セフレでも女性と男性では、イッた後の余韻に浸る時間が違う

セフレでも女性と男性では、イッた後の余韻に浸る時間が違う

男性と女性って性の受け止め方が違っているのではないでしょうか。

まず、不思議に思うことは、人間にとって性は快楽であっても、女性には、出産という試練が待っている訳です。

セックスが快楽であっても、出産は女性にとって死にいたる痛みではありませんか。

何で神様は男性、女性にこのような差別を作ってしまったのでしょうか。

この不平等を冷静に正しい言葉で言うことが出来ないのです。

敢えて女性蔑視のような言い方すれば出来ないこともありませんよ。

それは、女性は男性にとって子孫繁栄を繋ぐための道具にしか過ぎない訳です。

段々、フェミニズム、男性女性平等の立場からこういうことが言えなくなってしまった訳ですが、女性の出産の痛みとは死を意味していたのかもしれないですよね。

生を引き継いだのです。

男性主体の人間形成。

だったら、残酷な言い方ですが、男性の方にだけ快楽があって、女性はそこから痛みの連続であってもなんら不思議ではない訳です。

そういう虫たちがいますよね。

私達は虫ではなくて、だからこそ快楽なんてものを発明してしまった訳ですが、子孫繁栄のルールなど所詮は虫のようなものなのです。

男性と女性の快感の持ち方は、違うものなのです。

セックスのあり方も男性は絶頂があり、女性は絶頂がなくセックスの快感をその分持続出来ると言いますよね。

まずその理由はまさに機能の問題でしょう。

男性に絶頂があるのは射精のせいなのです。

目的はそこで達成され終了してしまうからです。

女性には射精はありません。

やはり耐えず受け身でいるのが、女性の性の形なのです。

そして、そのことを顕著に表しているのが、マスタベーションの問題なのではないでしょうか。

男性でマスタベーションしたことがない人なんてひょっとしたら知恵遅れの人なのではないでしょうか。

結局、みなさんそのことを公にしない不思議な世界だから判らないまでです。

しかし、女性はどうでしょうか。

決して、みなさん、マスタベーションしているとは思いませんよ。

マスタベーションをしなくても済む訳ですし、自分の手によってなかなか興奮することが出来ないのもマスタベーションなのではないでしょうか。

つまり、女性の方が男性よりも興奮が少ないのです。

それは機能的問題からです。

男性と女性比較した場合、女性のこの上ない性の快感とは男性のどのあたりのことを言うのでしょうかね。